戦国時代の食事を今に再現するなら?武士メシが注目される理由
2019.3.20
戦国時代の武士たちはどのような食事をしているのか、現代で再現するならどのような物を食べていたのか、とても興味深いものです。
戦国時代の武士たちは体力づくりの一貫として、日々の食事をとても大切にしていました。長期保存ができるような工夫、腹持ちを良くするための工夫をしてきたのです。
武士たちの食事が今大変話題です。
戦国時代の食事について詳しく解説します。
この記事の目次
戦国時代の武士たちの食事とは?再現するなら今でいう「団子」
遠い距離でも飛行機や船を使って食べ物などを簡単に運べるようになった現代は、世界各国のありとあらゆる食材を取り寄せて食べることが出来るようになりました。
また、食べ物の加工も発達したため、缶詰以外にもインスタントやフリーズドライ技術を使って、長期保存の効く美味しい食べ物が数多くあります。
そんな便利な現代を遡ること数百年前、貿易もほとんどなく、食べ物加工技術も今とは比べ物にならなかった戦国時代の武士たちは、どのようなものを食べていたのでしょうか?
遠足などで食事を持ち運ぶなら、お弁当ですよね。
お弁当箱にご飯を詰めたり、おにぎりやサンドイッチをリュックに入れるのが当たり前ですが、戦国時代の武士たちはおにぎりを持って遠出をすることはあまりありませんでした。
というのも、おにぎりは日持ちが悪いからです。
そのまま食べないで持っていたとしても、次の日にはあっという間に悪くなってしまいます。
食べるために持ち歩いたとしても、その日のお昼か晩ごはん用にしかなりません。
現代なら車で素早く移動も出来ますし、お腹が空いたらコンビニやレストランに寄れば済む話ですが、その当時はそういったものはありません。
今とは違い、徒歩で数日かけて長い距離を旅することもあった戦国時代の武士たちは、食べ物の確保が大変でした。
とはいえ、全く方法が無いわけではありません。
コンビニもレストランにも寄れない武士たちは「兵糧丸」を持ち歩いたのです。
兵糧丸とは小麦粉やそば粉、きなこ、すりごま、砂糖などを少量の酒と水を混ぜてこね、丸めてから蒸してその後、天日干しで乾燥させたものです。
その兵糧丸を再現するなら今でいう「団子」といったところでしょうか。
他にも「芋の茎縄(いものずいき)」という保存食がありました。
これは里芋の茎を味噌などで煮込んで縄状にしたものです。
縄状になっているのですから、こちらも携帯食として便利ですよね。
しかも、荷物を結ぶ縄として使うこともあったというのですから驚きです。
道具と食べ物を兼任出来るのものは、現代でもなかなか無いのではないでしょうか。
戦国時代の武士の食事が再現ブーム?武士メシが注目される理由
歴史に詳しい人だけではなく、料理を研究している人たちの間で、戦国時代の武士の食事が再現ブームって本当なのでしょうか?
武士メシが注目される理由についてご紹介します。
歴史を勉強しているとその時に起きた出来事だけではなく、その時に食べられていた食事についても学ぶことがあります。
文章で食事のメニューを見てもピンと来ない人も、それを出来るだけ忠実に再現した料理を食べることで、その時に武士たちが感じてたであろう香りや味を感じることが出来たら、言葉では言い表せない感動を覚えるのではないでしょうか。
また、料理を研究している人にとって味と同じくらい大切なのが栄養です。
食材が豊富ではなく、冷蔵庫のような便利な保存機械も無かった昔に長生きすることが出来た戦国時代の大名たちの食事メニュー、いわゆる「武士メシ」は研究対象として大いに注目すべきものなのです。
そのため、本屋さんに行くと、武士メシがテーマの漫画や歴史書、レシピなど様々な書籍を見ることが出来ます。
戦国時代の武士の普段の食事は、今再現しても変わらない食事風景
戦国時代の武士の普段の食事はどのようなものだったのでしょうか?
それぞれの家庭によって異なりますが、ご飯を食べる時は、「ご飯」、「お味噌汁かスープ」、「メインのおかず」、「サラダや漬物などの副菜」といった感じが多いのではないでしょうか。
それが戦国時代となると、このような食事だったそうです。
- ご飯(玄米)
- お味噌汁
- 魚、野菜、漬物などを1品か2品ほど
といった感じです。
今では玄米を食べる機会はかなり減りましたが、それを踏まえて今再現してもほとんど変わらない食事風景なのではないでしょうか。
ちなみに、当時はお肉を食べることはほぼ無かったそうです。
ごくたまに鶏やウサギ、イノシシなどを食べることがあったようですが、それはたまのご馳走や病気で体力が下がっている時など、特別な場合にのみ食べていたようです。
戦国時代の食事は1日2食
学校などで、「朝はしっかり食べましょう」と指導されている現代ですが、戦国時代の食事は1日2食しかなかったそうです。
なぜ昔は1日2食だったのかと言われると明確な理由は謎のようです。
ただ、あえて理由付けをするのなら、「昔からそうだったから」と言うしか無いでしょう。
あくまでも推測ですが、昔はお米を炊いたりおかずを作るにも一苦労していました。
特に玄米は研いだ後に長時間水に漬けてから、時間をかけて炊いていましたので、洗濯や掃除など他のことをしながら行っていたら、1日に2回まとめて炊くので精一杯だったのかも知れません。
また、外で働いている人たちも今のような便利な作業機械もありませんし、移動方法も徒歩しかありませんので、働いて移動するだけでかなり時間がかかっていたのかも知れません。
そういった理由から、1日2食の習慣が長く根付いていたと推測されます。
とはいえ、いつの間にか1日3食が当たり前になってきました。
1日3食が浸透したのは江戸時代と言われています。
なぜ1日2食から3食に変わってきたのでしょうか。
それは恐らくですが、「食が豊かになったから」と「1日2食だとお腹が空くから」ではないでしょうか。
戦国時代は争いが常で、お米を確保するだけでも一苦労でした。
そのため、たくさん食べたくても食べられず、1日2回食べることでなんとか飢えをしのいでいた可能性もあります。
また、いくら1食に山程食べると言っても、動いているうちに消化して、お腹が空いてしまいますよね。
昔も間食はあったようですが、それは見張りなどの長い時間労働する人のみだったようです。
実際、見張りをしていなくても、お腹は空きますし、かと言っておやつでは物足りなかったでしょう。
そういった事から、争いがほとんどなくなった江戸時代には朝昼晩の3食をしっかり食べることが広まっていったようです。
戦国時代の農民の食事は、今で再現するなら「雑炊」がメイン
戦国時代の農民の食事は、どのようなものだったのでしょうか。
今で再現するなら「雑炊」がメインだったようですよ。
雑炊と聞くと、「お米と一緒に大根や大根の葉っぱや塩か味噌などで味付けされたものかな?」などと考えると思いますが、まず最初に使うものがお米ではなかったそうです。
主に、稗(ヒエ)や粟(アワ)などの雑穀がメインで、あとは山菜や野草とお味噌を混ぜたものだったそうです。
「たまにならヘルシーな雑炊として食べても良いかな?」という感じですが、これが毎日だとちょっとしんどそうですよね。
とはいえ、稗も粟も栄養が豊富な穀物ですから、完全再現まではいかなくても、「なんちゃって戦国メシ」を楽しみたい人は、いつもの白いお米と一緒に雑穀米も混ぜたご飯を炊いて食事に取り入れてみてはいかがでしょうか。